「『Kin』と『同意書』と『シェイクスピア』」
-Kinをめぐる小考察-
================
同意書には患者さん自身がサインする場所がある。もちろん当然といえば当然。手術を受けるのはその人自身で他の誰でもないのだから。
ただ現実世界はそれほどシンプルでない。
意識障害で運び込まれた患者さんの開頭手術にも同意書がいる。
では誰がサインするのか。
UKのプラクティスではGMPが常に引用される。
Good medical practiceの略語として医師であれば誰もが知っているガイドラインである。日本では「医師法」に相当するが、医師法との違いは「ガイドライン」であって、罰則規定は記載されていない。
医療上準拠すべき「医師のありよう」を事細かく記載している規範が満載されている。
意識障害、あるいはなんらかの理由で「患者本人の意思表示が困難」あるいは「意思決定過程が精神障害、認知症、服役囚などの理由で妥当とみなされない」場合に頻用される言葉がある。
=====<一部省略>=========
In making decisions about the treatment and care of patients who lack capacity, you must:
........................
the views of people close to the patient on the patient’s preferences, feelings, beliefs and values, and whether they consider the proposed treatment to be in the patient's best interests.
Reference; Part 3: Capacity issues When a patient lacks capacity
75-76
===================
"The patient's best interests"
直訳すれば
「患者の最大の利益に基づいて」
である。
つまり、UKにおいて患者さんが何らかの理由で意思表示が困難、意思表示が法的拘束力を有さない場合、コンサルタント医師が「患者の最大の利益に基づいて」判断することが可能なのである。
家族の意見も考慮するとの但書があるものの、基本的には「医師」か「患者本人」あるいは事前になれている法的な「明確な患者本人の意志表示」に基づいて治療方針が決定されるのである。
ただし、、、。ただしである。
これはあくまでも「ガイドライン」であって、原則に過ぎない。その証拠に旧英国領の医療制度はGMC(General Medical Council)のGMC(Good medical practice)に沿いつつも、
「家族/親族の同意」
の欄が同意書に記載されている。
では
家族/親族とはなにか。
ここで"Kin"が登場する。
同意書において、「親族・家族」は
========
Next of Kin
「近親者・親族」
========
実はこれを定義することは一筋縄ではいかない。誰がNext of kinなのか。飼い猫を孫のように可愛がるお隣のAndyさんにとっては猫がNext of kinかも知れないが、Solicitor(事務弁護士)に言わせれば勘弁してくれよということになる。実際ローマでは猫に遺産を相続させようとした事例もあるので、法律家としてただ笑い飛ばすというわけにもいかなくなってる。世界はますます複雑になってくようだ。
法律においてNext of kinは国によって対応が異なる。USAであれば明確な定義があり優先順位が明記されている。
UKを見てみると面白いことに定義がない。
つまり誰かが明確な線を引かなくてはならない。そうでなくては医療緊急時(Medical emergency)の対応がとてもおぼつかない。
では誰が決めるのか。
現実的には
「各病院が定義をしている」のである。
基本的には日本で言う1親等がそれに相当する。
しかし
しかしである。
日本の1親等は「義母」「義父」が含まれるが、基本的にはその考え方は適応されない。
Next of kinは
概ね
○(直接の)父母
○ 子供
までである。
つまりNext of kinに『一般的に』兄弟姉妹は含まれない。これは日本と同じである。
基本に戻ろう。
Kinには以下の意味がある。
===============
kin
【名詞】
1[集合的に;複数扱い] 血縁, 親族, 親類(relative).
2血族[家族]関係, 姻戚.
3同質, 同種類.
=========Wikipedia==
いわゆる格式張った「古い」言い方なのだ。
シェイクスピアの悲劇、『トロイラスとクレシダ』(Troilus and Cressida)の中によく引用されるギリシャ将軍のオデュッセウスの言葉を紹介したい。ギリシャの将軍アキレウスに語りかけるシーンでの一節。
=================
"One Touch of Nature Makes the Whole World Kin"
『一片の人情が世の中を親密にさせる』
=================
シェイクスピア研究者ならこの一文だけで論文一つ書き上げられるほどの議論がなされている文章でもある。
この文中の"Nature"が何を指すのか。
直訳すれば
「自然にほんの少し触れるだけで、大自然を身近に感じることができる」
しかしシェイクスピアはこの文脈で使用してはいない。
シェイクスピアの文脈ではオデュッセウスがアキレウスに
=====================
He is speaking of the readiness of mankind to forget past benefits, and to prize the glitter of a specious present rather than the true gold of that which has gone by.
「人間とは過去の素晴らしい出来事や、過ぎ去ってしまったものの実は本物の価値を持っていたものでさえ、いかに忘れやすく、かつ目の前にある見せかけの美しさに心奪われやすきものであるか。。。主人公は人間のこの性(さが)を受け入れる心構えを説いているのである。。。。」
=====================
Ref;Theosophical University Press Online
-Kinをめぐる小考察-
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同意書には患者さん自身がサインする場所がある。もちろん当然といえば当然。手術を受けるのはその人自身で他の誰でもないのだから。
ただ現実世界はそれほどシンプルでない。
意識障害で運び込まれた患者さんの開頭手術にも同意書がいる。
では誰がサインするのか。
UKのプラクティスではGMPが常に引用される。
Good medical practiceの略語として医師であれば誰もが知っているガイドラインである。日本では「医師法」に相当するが、医師法との違いは「ガイドライン」であって、罰則規定は記載されていない。
医療上準拠すべき「医師のありよう」を事細かく記載している規範が満載されている。
意識障害、あるいはなんらかの理由で「患者本人の意思表示が困難」あるいは「意思決定過程が精神障害、認知症、服役囚などの理由で妥当とみなされない」場合に頻用される言葉がある。
=====<一部省略>=========
In making decisions about the treatment and care of patients who lack capacity, you must:
........................
the views of people close to the patient on the patient’s preferences, feelings, beliefs and values, and whether they consider the proposed treatment to be in the patient's best interests.
Reference; Part 3: Capacity issues When a patient lacks capacity
75-76
===================
"The patient's best interests"
直訳すれば
「患者の最大の利益に基づいて」
である。
つまり、UKにおいて患者さんが何らかの理由で意思表示が困難、意思表示が法的拘束力を有さない場合、コンサルタント医師が「患者の最大の利益に基づいて」判断することが可能なのである。
家族の意見も考慮するとの但書があるものの、基本的には「医師」か「患者本人」あるいは事前になれている法的な「明確な患者本人の意志表示」に基づいて治療方針が決定されるのである。
ただし、、、。ただしである。
これはあくまでも「ガイドライン」であって、原則に過ぎない。その証拠に旧英国領の医療制度はGMC(General Medical Council)のGMC(Good medical practice)に沿いつつも、
「家族/親族の同意」
の欄が同意書に記載されている。
では
家族/親族とはなにか。
ここで"Kin"が登場する。
同意書において、「親族・家族」は
========
Next of Kin
「近親者・親族」
========
実はこれを定義することは一筋縄ではいかない。誰がNext of kinなのか。飼い猫を孫のように可愛がるお隣のAndyさんにとっては猫がNext of kinかも知れないが、Solicitor(事務弁護士)に言わせれば勘弁してくれよということになる。実際ローマでは猫に遺産を相続させようとした事例もあるので、法律家としてただ笑い飛ばすというわけにもいかなくなってる。世界はますます複雑になってくようだ。
法律においてNext of kinは国によって対応が異なる。USAであれば明確な定義があり優先順位が明記されている。
UKを見てみると面白いことに定義がない。
つまり誰かが明確な線を引かなくてはならない。そうでなくては医療緊急時(Medical emergency)の対応がとてもおぼつかない。
では誰が決めるのか。
現実的には
「各病院が定義をしている」のである。
基本的には日本で言う1親等がそれに相当する。
しかし
しかしである。
日本の1親等は「義母」「義父」が含まれるが、基本的にはその考え方は適応されない。
Next of kinは
概ね
○(直接の)父母
○ 子供
までである。
つまりNext of kinに『一般的に』兄弟姉妹は含まれない。これは日本と同じである。
基本に戻ろう。
Kinには以下の意味がある。
===============
kin
【名詞】
1[集合的に;複数扱い] 血縁, 親族, 親類(relative).
2血族[家族]関係, 姻戚.
3同質, 同種類.
=========Wikipedia==
いわゆる格式張った「古い」言い方なのだ。
シェイクスピアの悲劇、『トロイラスとクレシダ』(Troilus and Cressida)の中によく引用されるギリシャ将軍のオデュッセウスの言葉を紹介したい。ギリシャの将軍アキレウスに語りかけるシーンでの一節。
=================
"One Touch of Nature Makes the Whole World Kin"
『一片の人情が世の中を親密にさせる』
=================
シェイクスピア研究者ならこの一文だけで論文一つ書き上げられるほどの議論がなされている文章でもある。
この文中の"Nature"が何を指すのか。
直訳すれば
「自然にほんの少し触れるだけで、大自然を身近に感じることができる」
しかしシェイクスピアはこの文脈で使用してはいない。
シェイクスピアの文脈ではオデュッセウスがアキレウスに
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He is speaking of the readiness of mankind to forget past benefits, and to prize the glitter of a specious present rather than the true gold of that which has gone by.
「人間とは過去の素晴らしい出来事や、過ぎ去ってしまったものの実は本物の価値を持っていたものでさえ、いかに忘れやすく、かつ目の前にある見せかけの美しさに心奪われやすきものであるか。。。主人公は人間のこの性(さが)を受け入れる心構えを説いているのである。。。。」
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Ref;Theosophical University Press Online
しかしこの箴言は今述べた文脈で語られることはまずない。
この文脈でのNext of kinは「友情・親愛」で使用され、
この「親愛なる感情」によって
「皆は『kin/兄弟』となる」
と語られるのである。
この文脈でのNext of kinは「友情・親愛」で使用され、
この「親愛なる感情」によって
「皆は『kin/兄弟』となる」
と語られるのである。
そして
「人類みな兄弟」のcontextを体現している箴言として現れるのである。
「人類みな兄弟」のcontextを体現している箴言として現れるのである。
「Kin」と「同意書」と「シェイクスピア」
救急外来から緊急手術に向かう渡り廊下。
同意書のNext of kinを眺めながら、古代ギリシャをモチーフにした不世出の傑人、ウィリアム・シェイクスピアに思いを馳せ、また今日一日を過ごす管理人なのであった。
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